努力と向き合うこと

2018年12月26日 公開

 

 こちらでコラムを書かせていただきはじめてから、60代、70代の方々からのご相談が増えています。彼ら、彼女たちの悩みの多くは家族や地域の中で認めてもらえない、つまり「承認欲求が満たされない」とのことです。これは、とてもせつないことです。とくに高齢になってから孤立したり疎外感をおぼえるのは悲しいことですし、無力感にさいなまれかねません。

 人間には基本的な欲求があります。「マズローの欲求段階説」を聞いたことがあるかもしれません、少しおさらいしておきましょう。

 第1段階は、「生理的欲求」です。食事や睡眠、排泄といった生命を維持する欲求で、幼い頃から自然に持っている欲求です。身体の成長にしたがって性欲など種族を維持するための本能的な欲求も芽生えてきます。

 第2段階は、「安全の欲求」です。雨露をしのぐことができて穏やかに暮らせる家がある(賃貸でも持ち家でも構いません)、事故や災害から逃れたいと思いますし、不慮の事故に備えて保険に加入しておくことも考えます。自己安全を守りたいと望む欲求です。

 第3段階は、「社会的欲求」そして「所属と愛の欲求」でもあります。社会や組織に所属することで安心を得られます。家族は社会の最小単位ですので家族に所属していることでの安堵や、友人やご近所の方々との人間関係を穏やかに保ちたいとの欲求でもあります。孤児や遺児の少ない日本では生まれながらに家族へ所属していることで満たされているものでもありますが、これを失うと鬱状態に陥ります。

 第4段階は、「承認の欲求」これは「尊重の欲求」とも呼ばれます。人から褒めてもらえる、認めてもらいたいと望みます。そのために努力して学歴をつけ、地位や名誉を得たいと望む人もありますし、他者から尊重されていないと劣等感や無力感をおぼえてしまいます。

 第5段階は、「自己実現の欲求」。ご自身が持つ可能性を求めたい、発揮したいと望むため、より成長を求めて自身が成熟した人となることへ向かっていくことができます。

 この5段階の欲求が満たされることによって、人は自分自身だけでなく他者に対しても寛容になることができ、成熟した人となっていきます。

 では、なぜ60代以上の方が上記の「第4段階=承認の欲求」で悩みを抱えられてしまうのでしょう。それは、今の日本が物質的には豊かで安全な水や食料に満たされていますし、99.8%もの高い識字率の国民であり、大学進学率も50%を超えている、その豊かさに起因しているものとも考えられます。つまり、第1段階から第3段階までは、日本に生まれ育っただけですでに手に入れているともいえるなかで、第4段階からは努力して身につけていかなければならないからでもあります。幼い頃は、親やまわりの大人たちから尊重され認められてきたはずなのに、年齢が上がるとともに無条件には承認されなくなってしまいます。

 それは、たとえば中学生としての努力、高校生としての努力、社会人としての努力、家庭人としての努力、リタイア後の人生での努力、それらを重ねていきはじめて認めてもらえることができるものです。

 なんだ、努力ばかりしなければならないのかと失望なさることはありません。それぞれの年齢にふさわしい努力の先にあるのは心身の健康であり、穏やかな人間関係であり、ご自身が尊重されることです。努力が無駄になることはありませんし、その努力は人のためではなくご自身の人生の豊かさや幸福感につながっていき、その結果周囲の人も幸せにしてさしあげられます。60代、70代から第4段階、第5段階へ向かって真面目に向きあっていらっしゃるのは素敵なことだと思います。

池内ひろ美(いけうち・ひろみ)
家族問題評論家、八洲(やしま)学園大学教授
岡山市生まれ。恋愛や結婚・離婚、親子関係などのコンサルティングから、作家、女優、大学教授など幅広い分野で活躍。コンサルティングでは、これまで3万7千件以上の相談に応じている。さらに、メディア出演や執筆活動、Girl Power代表理事などの職務を通して、世の中への情報発信や啓蒙活動も行っている。